ESDやSDGsで異文化交流がなぜ大切なのか?(6)

「自文化」と「異文化」という対比で議論を進めてきましたが、「自文化」と「異文化」といっても、文化の違いは絶対的な所与の実体として存在するものではありません。時間と空間、人生のライフサイクルや世代によって変わりゆく相対的なものととらえることが大切です。

上図を例にとると、A文化はB文化に比べて集団主義の傾向が強いといえますが、 A文化全員が集団主義というわけではなく、A文化の成員のなかにも非常に個人主義的な人もいるし、集団主義的傾向が強い人もおり、図のようなな分布をしていると考えられます。B文化も同じように考えられますが、全体的にみると少し分布が左より (集団主義的傾向が弱い)です。実際にはA、B化ともに重なる部分は大きいのに、互いにとって極端な事例(黒い部分)に注目しがちなのです。これは互いに対するステレオタイプの発端ともなりえます。

また、私たちは1つだけでなく、さまざまな文化集団に属しています。たとえば、日本の大学で学ぶ一般的な日本人学生も性別による文化、年齢や世代による文化、出身や生まれ育った地域による文化などに所属しています。

ひとつの「国」文化に所属していると思われる人も、実はさまざまな「共文化」に所属しています。その意味で文化は多層的です。多層的であるという事は、それぞれの共文化集団間での衝突や反発もあることを示し、文化が必ずしも安定的で平穏であるとは限らないことも示します。

このように考えると、自文化と異文化の認識において重要なことは、互いの極端な違いや既存の個人間の多様性にも目を向けること、ステレオタイプに惑わされず、そして何より違いを恐れず、むしろ楽しもうとする態度といえるでしょう。また、意外に多い自分たちの共通点を認識することこれが以外にも最も重要なことなのかもしれないと私は考えます。私は世界の様々な国の人々と出会い話をする中で、本当に人間というのはそんなに変わらないものだと思いました。ましてや海外の人と交流してみようと言う思いがある人は、大抵において他者に対して重要的であり、違いを楽しむことができる人であり、また共通の要素を見いだすことができる人たちです。日本人の中にもこうした多文化との交流を得意とする人たちが多くいるはずです。私は申し訳ありませんが、外務省のお偉いさん達がこのような特質を持ち合わせているとはとても思えません。外務省が外務省で大切ですが、これからは民間、一般人、学生ベースのインターネットを用いた交流がどんどん行われるべきです。日本の仕事を海外に発注するのもすごく簡単になるでしょう。実際日本の一流会社のコールセンターはもう海外で受注されています。尋ねたいことがあってコールセンターに電話したら、中国人が対応してくれると言う事はもう日常茶飯事です。

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