ESDやSDGsで異文化交流がなぜ大切なのか?(2)

日本は島国で、もともと閉鎖的な国です。自然と同じような性質を持った者どうしが集団を作る傾向があります。集団の中で生じる僅かな差にも敏感で、多数派に属さない者を排除しようと、陰湿な行動をとる傾向があります。日本に古来からある文化が村八分です。まさに多数派に属さない者を排除しようとする陰湿な行動です。私は大学時代から日本人のこのような傾向について感じ始め、宣教師としてのボランティア活動等やアメリカ留学を経た後、日本の会社に就職して、いくつかの会社を渡り歩いて、日本人のこのような陰湿な性格を確信しました。それはアメリカ文化に慣れ親しんだ私にとっては非常にばかばかしいものです。かといってアメリカ文化に陰湿性がないかと言うと全くそんな事はありません。特に白人の人種差別の陰湿性といえば日本人の比ではないくらいです。かなり黒人差別は良くなっていますが、それでも根強く残っていますし、私はアメリカで黄色人種に対する極端な差別をこの目で見てきました。日本人とはまた違った差別、偏見、陰湿性を彼らもまた持っているのです。

日本人は「同期で能力ではたいした差はないのに、あいつだけ出世した」「あの子は浮いていてすかした感じがする」など些細なことが「妬み」や「憎悪」となり、これが結果的に職場や学校での陰湿な「イジメ」や「ハラスメント」に結びつきやすいです。

また、それを表だって見せるのは苦手なのが日本人です。日頃から抱えこみやすい「妬み」や「悔しさ」を晴らす場やきっかけが与えられると、一気に団結し、見えないところで無視や仲間外れなどを集団で行ってしまいます。普段は温厚なイメージの日本人の、あまりに落差がある行動を目にした時、海外の人は陰湿な国民性を感じてしまうのでしょう。

さらに日本人が海外の人から嫌われる理由を調べてみると、日本人の謙遜したり控えめに振舞う良いところも、イエス・ノーがはっきりした海外の人からはよく思われていないことが多いです。日本人もはっきりとイエス・ノーを言えるようになるべきです。はっきりとイエス・ノーを言っても相手と友好的な関係を築くことができます。それをアサーティブといいます。これはより高い文化的な次元だといえます。また文化的違いを乗り越えるための、ツールだと思ういえます。

「私なんて」「つまらないものですが」という謙遜や、公の場でスピーチを求められたときに逃げ腰になってしまう態度が、諸外国には自分を卑下した卑屈な態度に見えます。私はかなりアメリカナイズされていますので、私はパソコンが得意です。教えることに自信があります。などと自己紹介をします。日本においてはそのような自己紹介は非常な驚きと嫌悪を持って向かい入れられるのです。私には「私なんて」「つまらないものですが」と言う何の生産性もない自己紹介に何の意味があるのだろうと考えてしまいます。この時点で私はもはや日本人的では無いのでしょう。

コメント