ESDになぜ大きな柱として文化・異文化交流が含まれているのか(4)

中学生の頃には赤毛のアンに出会いました。最初はアニメに夢中になり、次に小説を何回も何回も読み返しました。普通赤毛のアンと言えば女の子が夢中になるような小説ですが、私は赤毛のアンが心に響くようなナイーブな感性を持った男子だったのです。

花々が一斉に咲き誇る6月の午後、ノヴァスコシアの孤児院から男の子を引き取る為、ブライトリバー駅に向かったマシュウ。しかし、手違いがあり、待っていたのは男の子ではなくアンと名乗る赤毛の女の子でした。内気なマシュウは手違いだとは言えずに仕方なくアンを馬車に乗せ、グリーンゲイブルズに向かいます。一方、そんな手違いには気づかず、一人期待に胸を膨らませるアンは、通りかかったバーリーの池の眩さに感動し、の池を「輝く湖水」と命名します。また、雪のように真っ白で可憐な花を付けたリンゴの木の並木道を「歓喜の白道」と名付け、「ここはきっと、世界で一番素晴らしいところなんだわ!」と、マシュウに語る場面が印象的です。

家に着くとマシュウの多少気難しい気質の妹のマリラはマシュウに向かってなんで女の子を連れてきたのか、早く送り返して男の子をもらわないといけないと話します。もともと子供を引き取る理由は、次第に歳をとってきた2人が牧場の仕事を別を手伝わせるためでした。だから男の子が必要だったのです。両親を失い、孤児院で育ってきたアンはショックを受け、やっぱり自分は誰にも必要とされない子供なのだと嘆きます。その様子を見て心優しいマシュウはマリラにアンをしばらく家に置くことを提案するのでした。

赤毛のアンには様々なキリスト教的な考え方が登場します。例えばアンが育ったグリーンゲイブルスでは、キリストの絵が飾られていました。その絵の中でキリストはたくさんの子供たちに囲まれています。その絵の中の子供たちの1人にアンは感情移入します。子供たちはそれぞれにキリストとお話ししたかったり、抱っこして欲しかったり、触れたかったりして自己主張しています。ですがその中に何も言い出せずに少し離れたとこからキリストを見つめている少女がいたのです。アンにはその少女の気持ちが痛いほどわかるような気がしたのです。その少女も誰よりもキリストの愛を欲していたのにそれを表現することができなかったのです。

私はそれを読んで本当に理解しがたいものだと思いました。キリストが何であるかわからなかったからです。ですがアンにとってキリストがそれほど重要な人物であると言う事はよく理解しました。

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