ESDになぜ大きな柱として文化・異文化交流が含まれているのか(3)

大学生になった私は様々なボランティア活動をしたり、学生運動をしたり、様々な宗教について学びました。そしてどれが優れているとかそれが劣っているとか言うことではなくて、自分にとってキリスト教の価値観が非常にぴったりくるものであるということがわかりました。後で振り返ってわかったのですが、私は小中学生の頃、大草原の小さな家や赤毛のアンから根本的な価値観を学んでいたのです。小学生の頃大草原の小さな家を食い入るように見ていたのを思い出します。

特に主人公のローラの存在や開拓者である父親チャールズ・インガルス、いかにも開拓民の母親といった感じの敬虔なクリスチャンである母親のキャロライン・インガルスの行動が本当に興味深かったんです。特にシーズン1の14話は私の人生に大きな影響与えました。

ローラたちに弟が生まれました。父さんは初めての息子にもう夢中です。ローラはやきもちを焼いてしまいます。その坊やが病気になりました。メアリーは坊やのためにお祈りをしますがローラはしません。ところが坊やは治療法のないまま天に召されてしまいました。ローラはショックでした。自分が悪しき考えを持ったから坊やが死んだのだと思いつめてしまいます。記憶が曖昧なのですが、ローラはどうしたらいいかわからず家を出て彷徨い山へ行きます。確か天国に行って、弟を生き返らせてもらうように神様にお願いしに行ったのだと記憶しています。そこで、山で暮らす1人の老人に出会い保護されます。テントで食べ物と一夜の宿を借り、ローラは再び山の高みを目指すのでした。その後の老人の行いが一生忘れられないシーンになったのです。その頃の私にとって神とは曖昧なものであり、どちらかと言うと人間が生み出した空想の産物と言う考えを持っていたと思います。我ながら小学生にしてはなかなかしっかりした考えてないでしょうか。私はその老人は小さなローラの幼い幻想から彼女を救うために何か行動をするのだと思いました。ところがその老人の行為は私にとって驚くべきものでした。その老人はひざまずいて、神に祈ったのです。「主よ。あの迷える少女をお救いください。」私は衝撃を受けました。大の大人が、しかもいかにも分別のありそうな賢そうな老人が神に助けを求めたのです。私はとても衝撃を受けました。ところが不思議とその行為を馬鹿にするような気持ちは浮かばず、むしろ私が今まで面にしてきたどのような行いよりもそれが崇高なものだと感じられたのです。そして葬式仏教の家庭に生まれた私は大草原の小さな家を通して、この世の中には大真面目に神が生きていると信じている大人がいることを知りました。そして次第に私も、神は生きておられるのではないかと考えるようになったのです。

そう考えなければ、説明がつかないことが世の中には多すぎるのです。例えばなぜこの地球に多様な生物と知的生命体がいるのか?科学者は言います。混沌とした原始地球の中で偶然、アミノ酸が生まれ、それが結合してタンパク質になり、偶然自己複製能力を持つDNAが生まれ、DNAが増殖し、突然変異と適者生存により、現在の生物がすべて生まれた。私にはこんな非科学的な説明を信じる事はとてもできません。

コメント