ESDになぜ大きな柱として文化・異文化交流が含まれているのか(2)

人間にとって歴史が重要な理由は、1つは己が何者であるかを知るため、つまりアイデンティティーの確立です。もう一つの理由は歴史を通して、人間の精神の有り様を知ることです。例えば歴史を通して人間は差別をする生き物であることが容易に理解できます。争いは人間の本性の1部であることが理解できます。反面、人間は相互理解するいきものであり、助け合い、コミュニティーを作り、都市を築いて、文化を育むことができる生き物です。

人間は歴史を通じて己自身の特性を知り、己の忌むべき特性をコントロールし、己の伸ばすべき特性を成長させることができるのです。

その歴史の重要な部分が民俗学であり、文化なのだと私は考えます。生物多様性(biodiversity)と密接につながる貴重な言語多様性の保全が世界で叫ばれています。私は人間はとんでもなく愚かしいですが、時になんとも崇高な生き物だと感じるのです。

有機システムとしての文化は、「環境に適応する方法として、その土地に暮らす人々が共同体として歴史的に発展させ、共有され、学習され、世代を経て変化しながらも伝承されてきた言語、思考様式、行動様式、生活様式、世界観、人間観、価値観の総体」といえるでしょう。そして無意識の前提となっている「見えない文化」はメンタルモデルとして、私たちに特定の「ものの見方、行動の仕方、感じ方」をさせるように作用しています。

つまり文化を作るのは人間ですが、その人間を作っているのは実は文化であると言うことができるのです。

文化化(enculturation)とは、そうした文化が人の内面心理や行動様式に結びついていく過程です。子どもにとっては教育·発達·社会化のプロセスすべてを含む包括的な人間形成の過程でり、家族をはじめとする他者との関わりのなかで言語を獲得し、その社会の一員として要請される「ものの見方、行動の仕方、感じ方」を身につけていきます。

その意味で文化適応過程といえますが、人は文化によって形づくられる受動的存在であるだけでなく、新しい人との交流や社会との相互作用を通して文化を再解釈し改変し、新たに創造もしていく存在です。

例えば、私自身に関して言えば、高校時代にアイデンティティーを確立するために激しい葛藤を経験しました。己の内面と、知りうる限りの世界の情報集め、時に絶望し、無力感にさいなまれました。私はあらゆる行動において自分の行動基準になる善と言う指針を求めていました。それは人に押し付けもせず、押し付けられもせず、ただ人より良き存在に導き、より他者に対して寛容であり、愛深き存在になるそのような善と言う価値観を求めていたのです。

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