総力特集 SDGsとESDをうまく繋げるためのESD理解〜ESDのもう一つの側面、社会教育(4)

1972年、ユネスコにおいてラングランの後任にジェルピが就任すると、「生涯教育は政治的に中立ではない」とする立場に立って、さまざまなレベル(国家、階級、民族、在差、貧富など)における抑圧-被抑圧、支配-被支配という権力関係の視点から、「生涯教育」の思想が再検討されました。

これは非常に現実的な取り組みであり、各所から様々な圧力がかかったことが容易に想像されます。しかしジェルピは崇高な目的のために戦い続けました。

そしてジェルピは「人々を抑圧しているものに対する闘争に関わっていく力」や「人々の自立への闘いの強化」をもたらす学びの意義を説き、個人や集団が主体的に「教育の目的、内容、方法」をコントロールできるような「自己決定学習(self-directed learning)

が必要だと主張しました。さらに、情報化、国際化、科学技術の進歩など現代社会の変化の激しい時代に「適応のための教育」を主張したラングランに対して、盲目的な「変化への適応のための教育」は「搾取する国とされる国とのより強力な文化的同質化の強化」のための教育に組み替えられ、こともあるのだと指摘しました[ジェルピ1983]。)

全くその通りです。ジェルピは現実世界の搾取国と非搾取国、富裕層と貧困層の問題から目を背けませんでした。正面からその問題に向き合ったのです。私はジェルピの崇高な魂に敬意を表します。私が無知なだけかもしれませんが、彼ほどに崇高な魂を持った人間と言うのは人間の歴史上、私が知る限り、数えるほどしかいません。

パウロ・フレイレ (Paulo Freire) とも共通鍵があります。フレイレは言っています。自分たちのおかれている状態が何に起因しているかに無自覚でいるかぎり、被抑圧者は搾取を宿命のように受け入れる」 「被抑圧者は、世界と自分自身についての歪んだ見方にとらわれて、自分を抑圧者によって所有されている物のように感じている。」だからこそ、文字を獲得し自分自身を取り巻いている世界を読み取ることによって解放への力にすることが必要なのだと主張しているのです。

人はなぜ不平等に生まれるのか?私は人生の長い時間をかけてこの問いに取り組んできました。私はジェルピとフレイレとの出会いによりその答えを半分得ました。その答えは、「人は不平等に生まれる。その理由は人が人自身の力によってその不平等を解決するためである。」と私は考えます。

その考え方は、そのまま私が知る数少ない崇高な魂ガンジーに通じます。つまり、平等を勝ち取るための平和的闘争。非暴力、不服従。それはもはや闘争とさえ言えないでしょう。これは人の良心に訴えかける対話です。

ジェルピは学習による自分の認知によって、自分の置かれている環境を変化させるための力、それも私の解釈で言えば暴力的な、対話によって人の良心に訴えかける力を得ることができると言っているのではないでしょうか。

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