総力特集 SDGsとESDをうまく繋げるためのESD理解〜現代教育の歴史的背景(9)

学校教育と「選択と多様性」

1980年代、欧米諸国では「新自由主義」と呼ばれる行政改革手法が台頭しました。代表的にはアメリカのレーガン政権とイギリスのサッチャー政権によるものがあげられます。そこでは公的セクターの民営化を通じた福祉領域の削減、市場原理による企業活動の活性化、経済政策上の規制緩和といった政策が

打ち出されましたが、公教育もまた、こうした改革の重要な対象となりました。

この新自由主義は、日本では中曽根康弘内閣の政策に強い影響を及ぼしました。これによって日本における民営化、規制緩和が強められていくことになるのですが、それは公教育の領域も例外ではありませんでした。むしろ

公教育領域こそが重要な新自由主義改革の対象と目されたのです。

1984年、中曽根内閣において臨時教育審議会(臨教審)が発足しました。これは中曽根首相の政治的意図を直接的に教育改革に反映させるため、に置かれた内閣直属の審議会でした。臨教審は1987年までに4次にわたる答申を提出して閉会した時限的な審議会であり活動期間はわずか3年でしたが、その後のわが国の教育改革に及ぼした理念的影響は多大なものでした。ここで最も重視されたのが「個性重視の原則」です。第4次答申では、「画一性、硬直性、閉鎖性」がわが国の公教育の根深い病弊であることが指摘され、これを打破し、「個性重視の原則」を確立する事がめざされました。

私は教育が完全に政府の管理下に置かれている現状に危機を感じます。教育現場の主役は児童生徒であり、教育の方針の決定のプロセスに教員や保護者の意見が全く取り入れられてない現場は、危険ですらあります。

教育が完全に政府の管理下に置かれてはいけないのは、政府と言うのは完全に民意を反映しているわけでは無いからです。これを言えば民主主義の否定になってしまうかもしれませんが、政権交代のない民主主義はもはや民主主義ではありません。このような状態ではいくら選挙をやったところで民意が反映されるわけがありません。

しかしながら、確かに現在の政府は選挙を経て国民によって選ばれた政府であると言う事実は事実であり、政府の決定はあまりにも民意とかけ離れたものでなければ尊重されるべきでしょうし、政府があまりにも民意とかけ離れた政策を打つようであれば、日本人は少しはフランス人を見習って、黄色いベスト運動を展開するべきでしょう。

私は臨教審の「画一性、硬直性、閉鎖性」がわが国の公教育の根深い病弊であるという指摘や、これを打破し、「個性重視の原則」の確立というのも素晴らしいと思います。

臨教審は1987年から開かれましたが、日本の公教育の「画一性、硬直性、閉鎖性」は何一つ変わっていません。一体誰が抵抗しているのか不思議ですが、私から見ていて、現場の教師達が激しく抵抗しているのは一目瞭然です。

中学校教育においては、明らかに部活動のウェイトが大きすぎます。そして部活動を中心とする体育会系の指導が全日本に蔓延しています。全く何時代なんだと言いたいです。部活動の実績のある教師、体育の教師が生徒指導の中心になっています。こんなやり方では日本はどんどん世界から取り残されていきます。もうここいらで本当に学校を変えなければいけません。

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