総力特集 SDGsとESDをうまく繋げるためのESD理解〜現代教育の歴史的背景(10)

教育委員会に問題意識を持っているのは私だけではなく、文科省も同様のようです。

教育委員の選任の改善

教育委員会が本来の機能を発揮するためには,教育委員に適材を得ることが不可欠であり,その点で任命権を持つ知事,市町村長や,承認を行う議会の責任は大きいと考えられる。教育委員の選任に当たっては,従来の慣行にとらわれず,地域住民の代表として,教育行政に深い関心と熱意を有する人材の登用に努める必要がある。

 委員選任において広く適材を求めたり住民の意向を反映するような工夫として,委員の候補者の公募や,住民の推薦のほか,選考の過程を地域住民に公開するなどの方法を取り入れている地方自治体もあるところである。これらの実施状況を参考にしながら,選任方法を工夫していくことが望まれる。

 なお,本部会では,教育委員の選任に公選制やこれに準ずる方法を導入することについても議論がなされたところである。公選制は,教育委員の選任に直接民意を反映することができる選任方法ではあるが,その反面,教育委員会の場に党派的対立が持ち込まれるおそれや,投票率が低い場合には十分に民意を反映した選任がなされないおそれもあるところであり,昭和31年の地教行法制定の際に廃止された経緯もある。今後,これらを踏まえつつ,中長期的な課題として慎重に検討することが必要である。

だいたい私と同じような考えです。自分がすごくずれている訳ではない事が分かってホッとしました。

「ゆとり教育」の終焉

低学力問題

1977年の改訂以降、「ゆとり教育」の路線が進められていくなかでも1998年学習指導要領改訂については、学校における授業数や学習内容の著しい削減、および「総合的な学習の時間」の意義や効果などが疑問視されるなど、多くの問題が指摘されることとなりました。

これは非常に残念なことです。こうなるのは目に見えていましたが、ゆとり教育と言うのは日本の教育における1つの非常に偉大な改革でした。失敗の原因ははっきりしていて、「総合的な学習」と言う未完成の教科に、いきなり大きな時数を配分してしまったこと。教科の時数を大幅に削ったことです。私は教科の内容を削減したことに問題はなかったと思います。しかしそれとともに時数を大幅に削ったのは明らかに誤りです。多くの生徒が授業について来れていなかったのですから、授業のペースをゆっくりにするとか、興味関心を高める工夫をするとか、定着の時間を設けるとかやらなければならない事は山ほどあったのです。それを内容の削減とともに時数まで削減してしまえば学力は低下するに決まっています。

言葉は悪いですが一体どんな阿呆が制度設計したのだろうと思ってしまいます。こんな事は地方の一介の教師にさえわかることです。

ゆとり教育に対する批判の象徴ともいえるものが「低学力問題」です。それは1999年に岡部恒、治戸瀬信之、西村和雄らによって刊行された『分数ができない大学生一21世紀の日

本が危ない』(東洋経済新報社)を発端とするものでした。同書は私立大学の経済系の学生の数学力低下に焦点をあてたもので、大学入学学力試験科目が少数化していることと、数学を学ばないで大学に入学してくる学生の問題を指摘しています。2000年には続編の『小数ができない大学生ー国公立大学も学力

崩壊』が刊行され、東大・京大を含む国公立大学における学力が低下していることが示されました。さらに、2001年には『算数ができない大学生理系ー学生も学力崩壊』が刊行されています。これらの著書によって、すべての領域に学力低下の波が押し寄せているという問題が提起されたのです。

こうした印象は、学力調査によって数値として表れています。上記のの文献の著者等自身が証左として取り上げているものに国立教育研究所による同一問題の正答率についての経年調査などがありますが、そこでも1990年代

後半のデータはいずれもその前の調査段階よりも成績が低下していることを示しています。

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