総力特集 SDGsとESDをうまく繋げるためのESD理解〜現代教育の歴史的背景(3)

最初の自民党の下野は1993年でした。総選挙の際に結成された複数の政党が躍進し、自民党が下野したこの選挙には、希望の党の小池百合子代表や民進党の前原誠司代表、そして野田佳彦前首相らが「日本新党」から立候補し初当選。他にも、自民党の安倍晋三総裁や岸田文雄政調会長、共産党の志位和夫委員長、立憲民主党の枝野幸男代表など、今の政界の”顔”たちがこの時に立候補、初当選を決めた重要な選挙でした。

自民党の敗北を決定づけたのは不正献金疑惑でした。自民党副総裁にして最大派閥のトップだった金丸信氏が、佐川急便から5億円にも上るヤミ献金を受け取ったして略式起訴されたのです。議員の職にとどまろうとしていた金丸氏でしたが、”金権政治”への批判の声は党内でも高まり、政界引退に追い込まれることになりました。1976年のロッキード事件、1988年のリクルート事件など、”政治とカネ”をめぐる問題が相次いでいた自民党に有権者からの不信感が募り、政治資金規正や、選挙区制度の見直しなど、”政治改革”が叫ばれまた。

1993年6月18日、野党が宮澤内閣の不信任案を提出しました。自民党議員たちが不信任案に「反対」を意味する青札を次々と投じる中、小沢氏が手に持っていたのは、なんと不信任案に「賛成」する白札だった。この史上まれにみる造反劇により、不信任案は可決、宮澤内閣は衆議院を解散、1955年の自民党結党以来、38年にわたって続いた「55年体制」が大きく揺らぎ始めることになりました。

余談ですが、この話、なんかおかしくないですか?自民党が下野するきっかけになったのは金丸信氏の佐川急便から5億円にも上るヤミ献金が表沙汰になった事ですが、内閣不信任案を可決に導いたのは金丸信の秘蔵っ子、小沢一郎でした。宮澤氏を総理大臣にしたのも小沢一郎であり、この頃小沢一郎はすでに自民党内で絶対的な権力を持っていました。彼が日本の影の支配者の地位を維持したければ、充分可能な事でした。ところが小沢一郎は日本の影の支配者の地位を捨てて、政権交代可能な二大政党制の確立に尽力したわけです。悪人顔ではありますが、凄い人だと私は思います。すべては小沢一郎の手のひらの上の出来事だったわけです。

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