アメリカでは、20世紀初頭から教科の枠にとらわれす、 実社会における問題解決能力を養うことを目的とした、経験主義的な教育を推進しようとする動が盛んに展開されていました。これはようやく今、日本の敎育で始まろうとしている事です。日本の教育はアメリカから実に100年遅れているんですね。
アメリカでは飛び級が当たり前ですが、日本には飛び級制度がないことがずっと不思議でしたが、こういうことだったんですね。日本もそろそろ、歳を潰す、平均的教育を止めて、実社会において活躍できる児童生徒を育成する教育に本格的にシフトする必要があるでしょう。1丁目1番地は大学入試制度の改編でしょう。
日本にもにも戦後、アメリカのこうした教育運の影響を受けた「コア·カリキュラム運動」が登場します。それは、伝統的系統主義とは異なる総合主義的なカリキュラム、すなわち社会科の学習を中核として、他の教科をその周辺に横断的、包括的に配置しようとするもので著名なものには「桜田プラン」などがあります。こうした経験主義的、自由主義的な教育運動は実践の数だけ多様に展開されていよした。ほかにも「川口プラン」などに代表される地域教育計画型のプランなどが有名です。結果から言えばこういった野心的な取り組みは、すべて潰されてしまったと言うことになります。
なんだか今の公教育の地域による教育格差をなくし、教育の機会均等を保障すると言う確かに素晴らしい目標の陰で、教育の自由度が失われ、教育が画一化されている状況と似ていると感じます。
私が思うのは公教育にも3つ位の流派があっていいんじゃないかと言うことや学区選択の自由がこれからは与えられるべきだということです。つまり各学校が、教育の機会均等のために最低限守るべきラインを守った上で様々なオリジナリティーのある教育を行い、児童生徒保護者がそれを選択することによって教育の進化を促す。こういった体制が必要であろうと思われるわけです。
こういう風にすれば上意下達、事なかれ主義、隠蔽体質の教育委員会はだんだん風通しの良いものに変わっていくでしょう。
1955年の自由民主党が結党し、「55年体
制」が開始しました。それ以来、自民党が下野したのは2回。「絶対的な権力は絶対腐敗する」という言葉がありますが、自民党は結党以来どんどん腐敗し続け、2度の禊を受けた後でも、腐敗が止まりません。
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